トレードマークの口ひげと短髪。代名詞となったローキックで世界を股にかけて活躍した
「キックの帝王」ロブ・カーマン。
少年時代はブルース・リーに憧れ、東洋武術に興味を持ち始め、16歳のころ、インドネシア武術であるブンチャックシラットを習い始めるも、より実践的な格闘技を求め、キックボクシングのオランダメジロジムへ入門。デビュー後は、ベニ―・ユキーデの姉婿WKA世界ミドル級チャンピオンのブリンキー・ロドリゲスをKOで下すなど、栄光の現役生活をスタートさせるとこになる。
後に、WKA世界ミドル級王座を83年に獲得したのを皮切りに、WKA世界ジュニアライトヘビー級王座
WKA世界スーパーライトヘビー級王座 、IMTA世界ライトヘビー級王座などの世界タイトルを手に入れる。
特筆すべきは、当時、WKA世界ライトヘビー級チャンピオンだった、ドン・星野・ウィルソンが同級1位のカーマンとのタイトルマッチを極端に避け続けたため、なんと、WKAはカーマンの為にジュニアスーパーライトヘビー級王座を新設。当然、初代王者はカーマンという、異例の事態に発展する。
日本では、全日本キックボクシング連盟に1987年、初来日。ムエタイのチャンピンだったラクチャート・ソーパサドポンを1RKO。その後、ドン・ナカヤ・ニールセンや、ピーター・スミットなど、世界的な選手と対戦。当時、日本のキック界は低迷していたため、日本人の代わりにカーマンが全日本キックを支える形となっていた。
1992年にはリングスに参戦。佐竹や角田、アダム・ワットなどの正道会館勢と対戦。
そして、K-1主催のK-2に参戦。ライバル、チャンプア・ゲッソンリットに敗れる。
引退試合の相手は現在、K-1のトップスターとなったアレクセイ・イグナチョフ。結果は判定勝ちだったが、微妙な判定で、勝ったのはイグナチョフの方だと、イグナチョフを称えた。
対角線の攻撃、必殺のローキック、独特の風貌と人間的なすばらしさ。
「キックの帝王」と呼ばれるにふさわしい、格闘家の教科書だった。
私的ベストバウト
○ロブ・カーマンvsドン・ナカヤ・ニールセン×
(KO)
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