Benny Urquidez

1977年。当時、新日本プロレスのアントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」におけるVSザ・モンスターマン戦の前座で全日本ライト級2位の鈴木勝幸と戦ったのが日本初登場の"怪鳥"ベニー・ユキーデ。
当時、日本のキックボクシング界はスーパースター沢村忠の引退で人気も急降下。
そこで苦肉の策として日本キックvs全米プロカラテという図式に活路を求めた。
その中でひときわ強烈な印象を残したのが、
全米プロカラテ(WKA)世界ライト級チャンピオン ベニー・ユキーデだった。
プロボクサー顔負けのボクシングテクニック、バックスピンキックなど武器に代名詞となった真紅のパンタロン、とにかく、「かっこいいー」の一言。
以来、ユキーデの豪快なKOも相まって人気爆発。私は14歳の時、TVだったが、彼の試合を見たことがきっかけで格闘技の虜になってしまった。
マーシャルアーツ フットプロテクター
ユキーデはたびたび日本で試合を行うようになり、全日本マーシャルアーツ連盟発足のきっかけを作り、この日本進出をきっかけに世界進出を果たし、同じく、世界中で人気を得るようになる。
余談だが、Van Halen の"Jump "という曲が世界中で大ヒットしたが、この曲、なんとベニーユキーデのために作られた曲らしい。
スパルタンX〈デジタル・リマスター版〉
ジャッキー・チェン ユン・ピョウ サモ・ハン・キンポー ベニー・ユキーデ

ところで「全米プロカラテ」という名前は実は正式名称ではない。
ワールドカラテアソシエィション、WKAが正式名称である。このWKA、現在ではキックボクシングの超メジャー団体になってるが、当時は新団体だった。もう一つ老舗団体があった。PKAである。WKAはPKAから分裂した新しい組織で、全米では老舗であるPKAが根強い人気があったため、後発のWKAの世界進出は苦肉の策だったのである。ちなみに、WKAを創立したのはハワード・ハンセンとユキーデの兄、アーノルド。
ユキーデ一家は、父は元プロボクサー、母は元女子プロレスラー、兄弟たちも何らかの格闘技に精通してるという絵に描いたような格闘技一家だ。ベニー自身も5歳の時に父にボクシングを習い、空手、柔道、合気道、剣道、テコンドー、レスリングなどを習得している。
首相撲で翻弄され判定負けを期したタイのプラユット・シーソンポップ戦以外はすべて勝利を手に入れてるが、唯一、心残りはムエタイ500年の歴史を破りラジャダムナンスタジアム認定ライト級王座を手に入れた藤原敏男とのドリームマッチを両者ともに望んでいたが、実現しなかったのが残念。
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ユキーデは後にボウリング場を購入して改装し、ジェットセンターという大規模な格闘技スクールを作り、ピーター・カニングハムや前田日明と戦ったドン・ナカヤ・ニールセンなどを育て、映画界にも進出し、1993年、ラスベガスにおける田上敬久とのラストマッチにて引退した。
"怪鳥"ベニ−・ユキーデ。間違いなく、格闘技の歴史にその名を残す不世出のマーシャルアーティストだ。
私的ベストバウト
△ベニー・ユキーデVS大貫 忍△
(ユキーデのベトナムホイップで大貫負傷のため試合結果ノーコンテスト)
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僕のベストバウトは ハワード・ジャクソン戦です。
藤原敏男は師匠とも念願のムエタイ王者の冠が欲しかったんでしょうね ユキーデとは厳しかったかな