

当時、目白ジムには島三男、大沢昇をはじめ、オランダ目白ジムの会長ヤン・プラスなど、怱々たるメンバーを輩出し、藤原もその中で過酷なトレーニングを送っていた。新設された全日本キックボクシング連盟の全日本ライト級王座に就き、連勝街道まっしぐら。タイの二大雄、ラジャダムナン、ルンビニーの両スタジアムのランキング入りを果たし、ついにタイ国ラジャダムナンスタジアム認定ライト級王座への挑戦を獲得する。タイトルマッチは日本武道館。史上初の国外でのタイトルマッチ。
藤原は王者モンサワン・ルークチェンマイを4Rクリンチ状態からサバ折りのまま倒れると同時にヒジ打ちを放った。気を失った王者はそのまま立ち上がれず藤原のKO勝ち。藤原は日本キック界の念願だったムエタイを破り、史上初の外国人チャンピオンとなる。
藤原はその後、タイにてタイトルマッチを行うが、地元びいきの判定負け。
タイトルを失った藤原は師である黒崎氏の新格闘術の旗揚げに参加することとなる。
1983年2月に現役引退。通算戦績は126戦(97KO)13敗2引き分け。
現在は藤原ジムを主宰し、WKA世界ムエタイライト級チャンピオンの小林聡を育てるなど、第2の藤原の育成に励んでいる。
尚、小林聡はノンタイトル戦ながら現役のラジャのチャンピオンにKO勝ちしている。
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私的ベストバウト
ラジャダムナンスタジアム認定ライト級 タイトルマッチ
○藤原敏男vsモンサワン・ルークチェンマイ×
(4R KO。藤原王座獲得)
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