2008年06月26日

燃える闘魂 アントニオ猪木

日本の格闘技・プロレス界において、確実に中心にいた人物が
"燃える闘魂"アントニオ猪木である。ということは納得いく事実だろう。
猪木はブラジル移住の時代に力道山からスカウトされ、1960年、プロレスデビューを果たした。

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プロレス
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力道山が創立した日本プロレスではジャイアント馬場と二枚看板だったが、馬場との対戦要求が容れられなかったことや日本プロレスとの度重なる確執から1971年に追放処分を受け、
1972年1月26日に今日に至る新日本プロレスを旗揚げする。

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アントニオ猪木といえば「格闘技世界一決定戦」と名づけられた異種格闘技戦である。
「プロレス最強」を謳い、モハメド・アリ、ウイリアム・ルスカ、ウイリー・ウイリアムスなどといった名だたる強豪と闘い、WWFより格闘技世界ヘビー級チャンピオンとして認定される。
その後のIWGP構想や世代抗争などで新日本プロレスはファンの心を掴み、その中心にいたのはやはり猪木だった。
1989年には「国会に卍固め」をキャッチフレーズに国会に進出。湾岸戦争前夜の1990年12月1日に、イラクにおいて「平和の祭典」を行なうことを発表し、関係者や人質被害者41家族46人と共にトルコ経由でバグダット入りを果たす。このイベントの開催後に、人質状態にあった在留日本人と全人質の解放に貢献した。

引退は1998年4月4日に東京ドームでトーナメントを勝ち上がってきたドン・フライと対戦し、グランドコブラで勝利した。
引退した現在でも、格闘技団体を主宰するなどして格闘技界のみならず、パチンコのキャラクターに採用されるなど、日本で1番有名なプロレスラーであることは確かだ。

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アントニオ猪木全集4 異種格闘技戦
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2008年06月21日

キックの荒鷲 藤原敏男

昭和30年代後半、当時「けんか空手」と言われた極真空手の3人がタイ国のムエタイと試合をすることとなる。不慣れなグローブを着け、なんとか勝ち越したが、タイ式ボクシングの強さに舌を巻くほどであった。その3人の中に「鬼の黒崎」と言われた黒埼健時がいた。ムエタイに魅せられた黒崎氏は目白ジムを設立し、ムエタイを倒す選手の育成に励むようになる。この目白ジムの所属選手が藤原敏男だ。


当時、目白ジムには島三男、大沢昇をはじめ、オランダ目白ジムの会長ヤン・プラスなど、怱々たるメンバーを輩出し、藤原もその中で過酷なトレーニングを送っていた。新設された全日本キックボクシング連盟の全日本ライト級王座に就き、連勝街道まっしぐら。タイの二大雄、ラジャダムナン、ルンビニーの両スタジアムのランキング入りを果たし、ついにタイ国ラジャダムナンスタジアム認定ライト級王座への挑戦を獲得する。タイトルマッチは日本武道館。史上初の国外でのタイトルマッチ。
藤原は王者モンサワン・ルークチェンマイを4Rクリンチ状態からサバ折りのまま倒れると同時にヒジ打ちを放った。気を失った王者はそのまま立ち上がれず藤原のKO勝ち。藤原は日本キック界の念願だったムエタイを破り、史上初の外国人チャンピオンとなる。
藤原はその後、タイにてタイトルマッチを行うが、地元びいきの判定負け。
タイトルを失った藤原は師である黒崎氏の新格闘術の旗揚げに参加することとなる。
1983年2月に現役引退。通算戦績は126戦(97KO)13敗2引き分け。

現在は藤原ジムを主宰し、WKA世界ムエタイライト級チャンピオンの小林聡を育てるなど、第2の藤原の育成に励んでいる。
尚、小林聡はノンタイトル戦ながら現役のラジャのチャンピオンにKO勝ちしている。

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私的ベストバウト
ラジャダムナンスタジアム認定ライト級 タイトルマッチ
○藤原敏男vsモンサワン・ルークチェンマイ×
(4R KO。藤原王座獲得)

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2008年06月17日

闘志天翔 佐竹雅昭

立ち技打撃系格闘技で絶大な人気のK-1。
そのK-1最大の功労者とも言えるのが、"怪獣王子"こと佐竹雅昭。
当時、正道会館は全日本空手道選手権で3連覇を成し遂げ、カラテでは無敵の佐竹を全面に押し出し、プロ化への道を探っていた。
その第1弾として全日本キックの日本武道館におけるドン・ナカヤ・ニールセンを1RKO。その後、USA大山空手との5vs5の大将戦で佐竹はウィリー・ウイリアムスと戦い、判定勝ち。


まっすぐに蹴る
佐竹 雅昭
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1991年より前田日明率いるリングスに参戦。
そして正道会館は佐竹をメインにして「格闘技オリンピックT」を東京体育館にて開催。
当時、世界最強のキックボクサーと呼ばれていたモーリス・スミスと戦い、引き分けるも、内容は圧倒的な力の差を痛感させられる。
1993年7月30日 ドン・ナカヤ・ニールセン(アメリカ)との王座決定戦で1R TKO勝ち
1993年12月19日 東京、両国国技館で行われたK-2 GRAND PRIX93 風林火山“山の章”に参戦。スペシャルマッチ(3分5R)KICK世界スーパーヘビー級&ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座決定戦でジェフ・フォーランスを2R1分28秒TKO勝ちし、両王座獲得。
1993年9月4日 佐竹の持つUKF世界ヘビー級タイトルとスタン・ザ・マン(オーストラリア)の持つWKA世界スーパーヘビー級タイトルのダブルタイトル戦で判定勝ち。

これまでに獲得した主なタイトルは
第6回全日本空手道選手権大会優勝(1987)
第7回全日本空手道選手権大会優勝(1988)
第8回全日本空手道選手権大会優勝(1989)
第1回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント優勝(1992)
第2回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント優勝(1993)
カラテワールドカップ'93優勝(1993)
ISKA世界ヘビー級王者
UKF世界ヘビー級王者
WKA世界スーパーヘビー級王者
KICK世界スーパーヘビー級王者・・・

格闘技界の話題の中心になった佐竹を正道会館はより世界的な規模の立ち技世界一を決めるK-1の主役に立たせ、世界の強豪と戦うことになるが、1994年のクランプリで準優勝した後は戦績は悪くなる一方で、99年、武蔵戦を最後にK-1から離脱。それと同時に正道会館からも脱退する。
2000年よりPRIDEに転戦するが、総合通算戦績1勝8敗1分と振るわず。2002年12月31日の吉田秀彦戦を最後に、現役を退いた。現役引退後は京都に総合打撃道という道場を立ち上げ、後進の指導に励んでいる。
もし、佐竹というスターが正道会館に不在であったならば、K-1は存在してないかもしれない。
K-1最大の功労者である。
だが、現在の彼はほとんど露出がない。。
本来なら、角田ではなく、佐竹が角田以上のポジションだと思うのだが・・・

私的ベストバウト
UKF世界ヘビー級&WKA世界スーパーヘビー級
ダブルタイトルマッチ
○佐竹雅昭vsスタン・ザ・マン×
    (判定)


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正道会館~格闘技オリンピックの軌跡1
正道会館
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’92格闘技オリンピック〔1〕
モーリス・スミス
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闘志天翔〜格闘技オリンピック3
サム・グレコ アンディ・フグ 田上敬久
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K-1 K.O.Rush
アンディ・フグ マイク・ベルナルド サム・グレコ
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カラテ・ワールド・カップ’94
佐竹雅昭 アンディ・フグ サム・グレコ
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正道会館 K‐1イリュージョン
佐竹雅昭 後川聡之 金泰泳
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K-1 REVENGE
佐竹雅昭 アンディ・フグ パトリック・スミス
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正道会館 K‐1イリュージョン
佐竹雅昭
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K-1 GRAND PRIX’93
佐竹雅昭 モーリス・スミス スタン・ザ・マン
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K-2 グランプリ '93 風林火山 “山の章”
佐竹雅昭 後川聡之 アダム・ワット
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獅子吼
前田日明 ハンス・ナイマン 佐竹雅昭
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K-1 GRAND PRIX’94
佐竹雅昭 他
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2008年06月13日

蝶のように・・モハメド・アリ

モハメド・アリといえば、
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という言葉がたいへん有名だが、
ヘビー級に華麗なフットワークと鋭い左ジャブを活用するアウトボクシングを持ち込んだスタイルで70年代のボクシングを席捲した。
そもそもは1960年のローマオリンピック・ライトヘビー級金メダリストでプロに転向するや無敗でヘビー級タイトルを獲得。その後は3度タイトル奪取に成功し通算19度の防衛を果たした。ボクシング史上屈指の偉大なチャンピオンの一人といえるだろう。

モハメド・アリ―その闘いのすべて
David Remnic 佐々木 純子
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また、、1976年に異種格闘技世界一決定戦を戦ったアントニオ猪木に、アリの入場曲である「アリボンバイエ」を送ったのは有名な話。
さらに、この試合で猪木にアリキックを蹴られすぎたため、後遺症になやませられている。
現在はパーキンソン病を発症したが、アメリカでは文民に送られる最高の勲章自由勲章を授与され文化人として世間に認められている。

戦績:61戦56勝(37KO)5敗
マイク・タイソン同様、ボクシング史上最強のボクサーといえるだろう

モハメド・アリ/チャンピオンへの道
モハメド・アリ ジム・ジェーコブス
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モハメド・アリ/ザ・グレーテスト 1964-74
モハメド・アリ, ソニー・リストン, アンジェロ・ダンディ, マルコムX, ウィリアム・クライン
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モハメド・アリ/世界が見た王者の姿(ユニバーサル・セレクション第4弾) 【初回生産限定】
モハメド・アリ, フィル・グラブスキー
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2008年06月10日

UWF〜伝説の格闘集団

PRIDEやHERO'Sなどを中心に総合格闘技が全盛の現在。
総合格闘技や異種格闘技の交流が夢だった80年代、すでにプロレス団体ながら総合格闘技、真剣勝負を目指す格闘技集団UWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)があった。
1984年、新日本プロレスの新間寿が当時売り出し中の前田日明をエースに、藤原喜明、木戸修、高田伸彦、スーパータイガー(佐山聡)、山崎一夫らが合流して旧UWFは動き出す。
UWFはカール・ゴッチを師と仰ぎ、その中でも、佐山の影響は大きく、ショー的要素の排除やレガース着用によるキックの導入など、従来のプロレスとは全く異なる格闘技路線をとり、人気を得るものの、金銭、イデオロギー論争など、いろいろなトラブルにより、1985年、第一次UWFは古巣、新日へUターンするとこになる。
テレビ中継のある新日本プロレスに戻ったUWF勢はそれまで日の目を見なかった、関節技や蹴り技を大いにクローズアップされ、特にアキレス腱固めはファンの間で人気を集め、当時、実況を担当していた古館伊知郎の「ワガママなヒザ小僧」のフレーズが耳に残った。


結果的に見れば、この新日本への参戦は前田をはじめ、UWF勢には"テレビ中継"があったため、UWFとUWFのスタイルを知らしめるのには非常に良かったのではないかと思う。
前田はベニー・ユキーデでおなじみのマーシャルアーツからの刺客、ドン・ナカヤ・ニールセンと初めての異種格闘技戦に臨み、5R、アキレス腱固めからの逆片エビ固めでギブアップ勝ちを収め、"格闘王"の称号を手に入れ、高田はIWGPジュニアヘビーのタイトルを、そして5人全員がタッグのタイトルを手に入れるなどの活躍をみせるものの、1987年11月19日、6人ダッグマッチにて木戸修にサソリ固めを決めている長州力に前田日明が顔面にキックを食らわせ右前頭洞底骨折。前田日明は無期限出場停止となり、1988年2月1日に新日本プロレスから解雇される。


新日を解雇された前田は数ヶ月の沈黙のあと、高田、山崎らと共に後楽園ホールにて「Starting Over UWF」を開催。新生UWFを旗揚げする。6人だけの旗揚げだったが、のちに藤原、船木優治、鈴木実が加入。旗揚げ戦のチケットがわずか15分で完売する等、大ブームを巻き起こし、1990年、すべて異種格闘技戦という東京ドーム大会を開催。絶頂期を迎えるも、1990年大阪城大会試合後に前田は神UWF社長に対し横領疑惑等、徹底批判。これにより前田は出場停止。神社長が会見を開き、UWF全選手の解雇を発表。UWFは消滅することとなる。
高田率いるUWFインター
船木・鈴木の藤原組
前田はリングス
と3つに分裂し、格闘技界に一大ブーム巻き起こしたUWFは終焉をむかえることになるが、現在の格闘技ブームはUWFがその先駆けであったことに間違いはないだろう。

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2008年06月04日

カンムリワシ 具志堅用高

70年代、ジュニアフライ級の世界王座防衛世界新記録(当時)を樹立した、日本ボクシング界屈指のボクサー"カンムリワシ"具志堅用高。
沖縄県石垣市に産まれた具志堅は高校の時、インターハイにて活躍。
高校卒業後は名門協栄ジムに入門。

0608超得・具志堅用高・ 100年に1人の男”カンムリワシ”世界タイトル全15戦再現・第1部「戴冠...

1976年、WBA世界ジュニアフライ級(現・ライトフライ級)王座に初挑戦。
チャンピオン、ファン・グスマン(ドミニカ)を7RKO。わずかプロデビュー9戦目で世界チャンピオンになる。この時、「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」という言葉が有名になり、゛カンムリワシ"という具志堅の異名となるきっかけだった。

当時、ジュニアフライ級は最軽量階級だったが、具志堅は重量級なみのKOの多さで人気を博した。
この後、日本人唯一となる世界王座6連続KO防衛を果たすも、出身地、沖縄で1981年に行われた14度目の防衛戦だったが、12R、挑戦者ペドロ・フローレス(メキシコ)の強打の前にセコンドからタオルが投入され約5年、13回に渡り保持した世界王座から陥落し、引退した。

100年に1人の男”カンムリワシ”具志堅用高・世界タイトル全15戦再現・第2部「燃焼」

引退後はタレント業のかたわら、ラーメン店などを経営。その後、1994年に日本人初の世界王者でもある故・白井義男氏と「白井・具志堅スポーツジム」を開設。現在は同ジムの会長として後進育成に力を入れている。

最近では亀田興毅についての辛口コメントが協栄ジム、亀田陣営を激怒させたが、はたして、亀田は世界チャンピオンになる資質があるのか、疑問だ。
具志堅用高は高貴で礼儀正しく、そして強い、世界ボクシング界不世出の超一流である。亀田にも見習ってほしいものだが・・・

戦績23勝(15KO)1敗

私的ベストバウト
WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ
×(王者)ファン・グスマンvs具志堅用高(挑戦者)○
(7RKO。具志堅、世界王座獲得)

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