2008年05月29日

第2次キック界の救世主たち

日本キックボクシング団体の老舗、全日本キックボクシング連盟。
その創設はキックの全盛期だった昭和40年代。藤原敏男や猪狩元秀らを輩出した。

しかし、"キックの鬼"沢村忠が引退。キック界は衰退し、全日本キックも活動を休止する。
バブル期だった1987年、向山鉄也、斎藤京二、赤土公彦らベテランをメインに新生全日本キックは復活。
当時の全日本キックはWKAと提携していたため、WKAの外国人選手が売りで、ロブ・カーマンや、ロニー・グリーン、モーリス・スミス、デル・クックなど外国人チャンピオンたちのカードが人気だった。当然、メインもWKAのタイトルマッチで、日本キック界は低迷していたため、日本人選手の実力、人気はイマひとつで、スター選手もいなかったが90年代に入り、3人のフェザー級チャンピオンにより、日本キック界はふたたび、息を吹き返すことになる。

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清水隆広
そんな日本人スター選手不在の中、1989年、全日本フェザー級王者となった清水隆広。清水は当時、ベニー・ユキーデのJETセンターとの提携で話題になっていた正心館(現*勇心館)所属で新空手からのキックデビュー。国際式ボクシングの経験のある清水は当時チャンピオンだった、鏡純一を武道館興行におけるタイトルマッチでKO。全日本王座を手に入れる。独特の風貌とKOで平成キック界初の日本人スターとなり、全日本キックも清水をメインイベンターに。そしてWKA世界スーパーバンタム級、フェザー級2階級制覇。武道館興行では"ムエタイ9冠王"チャモアペットと対戦するも、いいとこがなく判定負け。ムエタイとの実力の差を見せつけられることとなる。引退後はREXJAPANを設立し、数多くの選手を育てている。
HEAT928(vsチャモアペット)
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敵はムエタイに在り(vsルンチャイ)
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立嶋篤史
清水隆広が中心になっていた90年代初め、清水との対戦を執拗に要求していたのが立嶋篤史。立嶋は10代の時、単身タイへムエタイ留学。その後、キック界で頭角を出し、念願の清水との対戦は世界チャンピオンの清水をローキックでKOし、注目を浴びていた。インタビューなどでのビッグマウスや態度が批判も浴びたが全日本キックは日本キック界で初となる年俸1200万というシステムを立嶋に導入。話題になる。交流戦となったMA日本キックの゛和製ユキーデ"山崎道明との一戦は立嶋のヒジ打ちが面白いように決まり、彼のベストバウトの一つだろう。多くの同年代の選手が引退するなか、まだ現役である。

KICK SPIRITS-VIII (’96.9.29、後楽園ホール)
立嶋篤史 ゴーンサヤーム 熊谷直子
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KICK OVER-I

DESTINY-7〜立嶋篤史vs佐藤孝也
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キックボクシング30周年記念興行(’96.11.17、後楽園ホール)
立嶋篤史 貝沼慶太
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DESTINYI
立嶋篤史
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CHALLENGER-I
立嶋篤史 チャモアペット・チョーチャモアン 前田憲作
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立嶋篤史
立嶋篤史 清水隆広 山崎通明
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立嶋VSエビアップ リベンジマ
立嶋篤史 エビアップ
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KICK SPIRITS-7
前田憲作 立嶋篤史 小野寺力
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KICK OVER-I
立嶋篤史 ランカー・チャナサック
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KICK OVER-IV
立嶋篤史
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全日本キックボクシング BURNING-5〜1998.7.8 東京・後楽園ホール〜
立嶋篤史 金沢久幸 土屋ジョー
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立嶋篤史という生き方[ビデオ]

前田憲作
清水に代わって立嶋の天下となっていた1992年、全日本フェザー級タイトルマッチにて当時、青空ジムとして有名なシンサック・ビクトリージム所属の同級第2位前田憲作が対戦。大方の予想は立嶋のKO勝ちだったが、結果はなんと前田の判定勝ち。当時無敵の立嶋を倒したことで、前田は注目を浴びることとなる。
当然、前田はメインイベンターとなり、WKA世界ムエタイスーパーフェザー級王座やWAKO PRO 世界キックボクシング王座も手に入れ、そのルックスから、映画「ろくでなしBLUES」の主演をつとめることとなり、メディアにもたびたび取り上げられる。
前田はブラスターソード(回転後ろ回しヒジ打ち)やハイパー・サイクロン(飛び二段蹴り)など大技も試合で繰り出し、試合も華があった。。
引退は記憶にも新しい2002年、K-1の舞台だった。引退セレモニーには各界から多くの人が駆け付け、前田の人望の厚さが伺えた。
現在ではK-1で活躍する小比類巻らの所属する「チームドラゴン」を主催。後進の指導に励んでいる。
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One Truth 5th
前田憲作 立嶋篤史
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KICK OVER-IX
前田憲作 立嶋篤史 J.バージェス
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Evolution STEP6(’93.9.25,後楽園ホール)
DESTINY‐X
前田憲作 立嶋篤史 佐藤孝也
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前田憲作
中島貴志 立嶋篤史 メオパー・フェアテックス
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前田VSエビアッブ/佐藤VS立嶋 CHALLENGER-
(全日本キック)
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One Truth 7th
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ろくでなしBLUES
森田まさのり こがねみどり 那須博之
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ろくでなしBLUES 2
森田まさのり 室賀厚 前田憲作
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2008年05月28日

空道 大道塾

大道塾は、極真会館第9回全日本空手道選手権王者となった東孝により1981年に創始された。

当時は「格闘空手」をキャッチフレーズに、スーパーセーフ着用による顔面攻撃を取り入れ、パンチなども、いわゆる空手の「突き」ではなく、より実戦的なボクシングの技法を基本動作に取り入れるなど、格闘技としての空手を追求していた。
また東氏自身も柔道三段の腕前もあり、投げや関節技も取り入れられるなど、当時としては非常にめずらしい、道着着用の総合格闘技として進化した。
毎年北斗旗空手道選手権が仙台市(ウェイト制・春)と東京代々木体育館(無差別・秋)が開催されている。その後2001年に世界大会を開催したのを機に「空手道」の名を捨て「空道」に名を改めた。
北斗旗からは西良典、長田賢一、市原海樹 、セーム・シュルトなど、数多くの名選手を輩出し、修斗やキックなどに参戦している。
東氏が監修した本やビデオなどを見ても分る通り、非常に分りやすく、実戦格闘技への取り組みには目を見張るものがある。

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格闘空手大道塾~北斗旗への道~
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格闘空手大道塾 実戦相手編~北斗旗への道2~
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2008年05月24日

キックの鬼 沢村 忠

昭和40年代、月曜夜7時はほとんどの家庭のテレビはTBS系のこの番組が映し出されていた。その名もズバリ「キックボクシング」。
YKK提供のこの「キックボクシング」は野口プロモーションの日本キックボクシング協会の試合をTV中継するというもの。当然その中心選手は゛キックの鬼"こと沢村忠。
視聴率は毎週30%を越え、昭和48年には沢村は当時、三冠王の王や、大鵬を退け日本プロスポーツ大賞に輝くというスーパースターとなった。

この新興プロ格闘技がここまでの人気スポーツになるまでは沢村本人と野口プロの野口修氏との二人三脚による苦労の成果でもあった。
真空飛び膝蹴りの真実―“キックの鬼”沢村忠伝説真空飛び膝蹴りの真実―“キックの鬼”沢村忠伝説


昭和30年代後半、ボクシングのプロモーターの野口氏はたびたびプロモーション活動でタイに訪れることが多かった。タイでムエタイのすごさを感じた野口氏は「なんとか日本に持ち込めないものか」と考える。そこで日本人空手家をムエタイに挑戦させたがイマイチ。そんな時゛蹴りの白羽"のうわさが野口氏の耳に入る。

その白羽秀樹こそ後の沢村である。当時、白羽秀樹は日大2年生ながら全日本選手権で優勝し、空手界期待のホープだった。野口氏はその白羽を「沢村忠」というリングネームにし、ムエタイと戦わせる。初戦はKO勝ちだったが、二戦目ではなんと16度のダウンを喫し、救急車で病院送りにされることとなる。

ムエタイの怖さを身をもって体験した沢村は野口氏の命名した「キックボクシング」第一号となり、タイでムエタイの修行を始める。

帰国した沢村は野口氏とともに、キックの興行を行うが、知名度のないキックは客の入りは悪く、テレビ局のお茶くみなどをして、一年後、ようやく放映にこぎつける。
その後、ゴールデンタイムに進出。視聴率も常に30%台。キックの黄金期を迎えることとなる。

沢村の試合はとにかく面白かった。最初は劣勢になり、ダウンを奪われたりもするが最後には
「真空飛びヒザ蹴り」や「飛び前蹴り」を必殺技に劇的なKOで勝つ。沢村が負けることなど思いもしなかった。バネのようなハイキックやマウスピースをゆっくり口から出しながらダウンするなど劇画チックな試合展開で瞬く間にキックボクシングは人気スポーツになり、沢村自身もスーパースターになっていく。
当時の沢村はほとんど毎週のように試合があり、テレビ、ドラマ、レコードまで、数々の仕事をこなし多忙を極める。沢村を題材にした「キックの鬼」というアニメまで作られた。
ところが人気絶頂の昭和51年、沢村は突然失踪。翌年、後楽園ホールにて引退式。沢村引退後のキックボクシングは富山勝治をエースに起用するも、スーパースター沢村の抜けた穴を埋めることができず、テレビ中継も数年後に打ち切られ、衰退していく。
沢村は引退後、マスコミには全く露出しなかったため、いろいろな憶測が飛び交ったが、キック引退後は大好きだった自動車関連の仕事をしながら、子供たちに空手を教えていた。数年前から、少しではあるがキックのビデオやマスコミにも登場するようになった。

戦績241戦232勝(228KO)5敗4分
200勝投手は何人もいるが、200勝キックボクサーは沢村だけだろう。
昭和40年代の日本の高度経済成長とともに現れたスーパーヒーローだった。


私的ベストバウト
東洋ライト級タイトルマッチ
○沢村忠vs サネガン・ソーパッシン×
 (4Rヒジ打ちによるKO)



本人が選ぶベストマッチ!DVD キックの鬼 沢村 忠 10P13apr10





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懐かしいTV動画

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2008年05月20日

初代タイガーマスク 佐山聡

80年代前半、プロレス界に一世風靡した伝説のプロレスラーがいた。
タイガーマスク。劇画でおなじみのキャラクターだが、まるで、その劇画からそのまま出てきたような人間離れした動き。1981年4月23日蔵前国技館に於けるダイナマイト・キッド戦にて初めてのデビューだったが、その風貌はマスクのあまりのお粗末さに苦笑した。だが・・・
ゴングが鳴ると、その苦笑は驚きに変わった。すごい・・・
人間は鍛えればこんなにも動けるものなのだ。私は衝撃を受けた。私だけではなく、マスコミや格闘技界にも衝撃だったようで、日本中がタイガーマスクブームにのめり込み、所属していた新日本プロレスは空前の全盛期を迎えることとなる。

初代タイガーマスク大全集~奇跡の四次元プロレス1981-1983~完全保存盤 DVD-BOX
初代タイガーマスク
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この初代タイガーマスク。現在ではその正体は佐山聡ということは周知の事実だが、佐山は1975年に新日本プロレスに入門、1976年に魁勝司戦でデビュー。
1977年11月14日に行われた梶原一騎主催の「格闘技大戦争」で、マーシャルアーツミドル級第一位のマーク・コステロと両者ボクシンググローブ着用・統一ルールの下、事実上の異種格闘技戦で対戦。何とかKO負けこそ逃れたものの、屈辱的な判定負けを喫した。佐山は打撃選手に手も足も出なかった事実に衝撃を受け、いかに打撃と間合いが重要であるかに傾倒し積極的に取り入れるようになる。
以後、1978年にメキシコに、1980年にはイギリスへ渡りブルース・リーの弟子こと「サミー・リー」のリングネームでマーシャルアーツスタイルのプロレスラーとして大活躍。帰国後はタイガーマスクとして四次元プロレスを駆使して大活躍。

だが、1983年8月10日、突如引退する。
1984年に第1次UWFへザ・タイガーとして参加し電撃復帰、後にスーパー・タイガーに改名。「実力NO.1」の称号を得るも、1985年、試合中の前田日明からの金的蹴りがきっかけとなり離脱。実際には金的に入っていなかったが、試合中、前田の尋常ならざる精神状態を懸念した佐山が、金的をアピールしてレフェリーに試合を止めさせたのが実情である。当時のUWFは、一層の競技化を進める佐山と興行面からそれに反対する前田らとが対立していた。
第1次UWF離脱後、シューティング(現・修斗)の創始者として日本の総合格闘技界をスタートさせたが、後にフロントとのトラブルのため、離脱。
1999年には掣圏真陰流を創設し、現在は「リアルジャパンプロレス」を旗揚げし、自らもリングに上がっている。
プロレスだけてなく、総合格闘技界にもたらした彼の偉業は賞賛される。
彼がもし、総合格闘技が゛認知された現在、選手として全盛期のころだったら、間違いなく大活躍していただろう。
タイガーマスクとして当時の衝撃を憶えている私には、現在もリングに上がりつづける佐山の姿は万感の思いもするのだが・・・


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初代タイガーマスク ~猛虎伝説~ Vol.2
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2008年05月14日

鉄人 アンディ・フグ

1987年、極真会館主催の4年に一度の全世界大会で、日本ではまだ無名だった外国人が、現極真(松井派)館長の松井章圭と当時外国人史上初めてとなる決勝進出を果たした。テコンドーの技「脳天蹴り」(かかと落し)を駆使し、円を描くような華麗な組手。

英雄伝説アンディ・フグ〜SAMURAI Spirit Forever〜 上巻
アンディ・フグ
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その未知の外国人選手こそ、
"鉄人"アンディ・フグ。
偶然の顔面へのパンチが判定に影響し、準優勝。彼の登場は私には衝撃だったが、当時のTV解説をしていた盧山師範の「"アンディ・フグ"という名前はこの先、私の修行生活の中で一生忘れることが出来ない名前になりました」と語ったほどだった。

以来、アンディはカラテ界ナンバーワンの人気選手となるも、極真を脱退し、フリーとなる。
フリーになったアンディはプロ第1戦となる正道会館主催の「格闘技オリンピックII」に電撃参戦。当時、正道会館の看板選手だった、柳澤聡行を全く寄せ付けず、アンディの独壇場。
その後、「カラテ・ワールド・カップ」で優勝。次の年のカラテ・ワールド・カップでは佐竹と決勝を戦うも、試し割りの枚数で敗れる。

<英雄伝説アンディ・フグ〜SAMURAI Spirit Forever〜 下巻
アンディ・フグ
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そして、K-1参戦。
カラテの名声を得ていたアンディは鳴り物入りでデビューするものの、格下のパトリック・スミスや、マイク・ベルナルドにKO負け。
次の年、スミスとのリベンジ戦では見事1RKO勝ちし、さらに、人気を増す。
そしてついに、1996年の決勝戦で何度挑んでも勝てなかった、ベルナルドに「フグトルネード」でKO。リベンジを果たして優勝。1997年、1998年でも連続準優勝。K-1の看板選手となり、TVやCMでも、引っ張りだこ。
K-1参戦初期はなかなか勝てず、何度も負けても、不屈の闘志で這い上がり、やがてはトップにまで上り、そしてなにより、彼の重んじた武士道精神は日本人のハートをがっちり掴んだ。

2000年6月9日のスイス国内引退試合を現在、PRIDEで活躍するミルコ・クロコップと対戦し、判定勝ち。ところが、予選トーナメント目前の2000年8月24日、白血病のため、逝去した。享年35歳。
アンディの逝去は格闘家としては異例のTVニュースとなり、日本中を駆け巡った。
彼のサムライ・スピリッツや、華麗なファイティングスタイルは今でも語り継がれるほどの伝説となった。

アンディの登場以来、数多くの選手がアンディの代名詞「かかと落し」を使うようになったが、未だ、アンディ以上のスピード、タイミング、パワー、そして美しさを持ったかかと落しを見たことがない。

私的ベストバウト
格闘技オリンピックII
○アンディ・フグvs柳澤聡行×
(判定)

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英雄伝説アンディ・フグ
アーネスト・ホースト ピーター・アーツ マイク・ベルナルド
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極真会館 第4回世界大会 名勝負20番
松井章圭 黒澤浩樹 緑健児
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超人アンディ・フグのスーパー・カラテ・テクニック[ビデオ]
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カラテ・ワールド・カップ’94
佐竹雅昭 アンディ・フグ サム・グレコ
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アンディ・フグ・ザ・ヒストリー ~K1最強ファイターの記録~
アンディ・フグ
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K-1 REVENGE
佐竹雅昭 アンディ・フグ パトリック・スミス
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正道会館~格闘技オリンピックの軌跡1
正道会館
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闘志天翔〜格闘技オリンピック3
サム・グレコ アンディ・フグ 田上敬久
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闘え!アンディ・フグ
ゴットハード
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2008年05月13日

骨法と堀辺正史

80年代後半、格闘技界では前田日明率いるUWFが話題の中心になっていた。
それと同じ時期にプロレス雑誌やマスコミがコゾッテ取り上げた武術があった。
堀辺正史氏が唱える「骨法」。
当時、新日本プロレスのアントニオ猪木や船木優治、山田恵一などが骨法の技を取り入れたことで一躍、骨法は注目されることとなる。

ss堀辺氏によれば、骨法司家の第52代で、骨法は奈良時代の武人、大伴古麻呂より伝わる日本独自の拳法で、堀辺正史が幾多のストリートファイトの経験をプラスして現代に甦らせたという。

「骨法の祭典」なるビデオを以前、見たことがあるが、掌打がメインで蹴りや関節技もあり、ムエタイの影響からだろうか、日本太鼓(音楽?)を流し、タウンした際には「ワン、ツー・・」ではなく、「ひとーつ、ふたーつ・・」など日本にこだわった試合体形だったようである。
最近では、バーリトゥードの影響からか、以前のように掌で叩き合う組手はなくなり、グローブ着用によるパンチ主体の総合格闘技になったそうだ。
団体名も日本武道傳骨法に変更した。

格闘技界の注目を浴びていた一時期とは違って最近では、裏付ける証拠は無いのだが堀辺正史氏の経歴詐称・骨法捏造疑惑なるものが各方面で問われているようで、以前のような話題にのぼらなくなったが、独特の技もあり、興味のある人は研究してみると新しい発見があるかもしれない。


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武士ズム~小林よしのりVS堀辺正史~
堀辺 正史
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骨法不動打ち―究極の喧嘩芸奥義
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喧嘩芸骨法伝授[ビデオ]
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骨法の祭典[ビデオ]
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骨法の祭典 第二回[ビデオ]
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第3回 骨法の祭典[ビデオ]
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骨法完成 第4回骨法の祭典[ビデオ]
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"ゴッドハンド"大山倍達

「地上最強の空手」をキャッチフレーズに、それまでの寸止め空手しか存在しなかった頃にフルコンタクトカラテを全世界に広めたのが、大山倍達が創立した極真会館である。
大山倍達、世界制覇の道
大山倍達、世界制覇の道

1923年(大正12年)、朝鮮人の両親から産まれた。幼少時より拳法を学び、山梨少年航空学校入学してまもなく、船越義珍氏より空手を学ぶ。
終戦後の1947年、全日本空手道選手権で優勝。身延山や千葉県清澄山にて山篭りし、特に清澄山には、なんと18ヶ月間の修行を行う。
その後、柔道の遠藤幸吉四段とともに渡米。空手の演武をしながら異種格闘技と戦い、全勝。帰国後は牛と戦い、話題になる。また、従来の「寸止め空手」に異議を唱え、数々の格闘技戦の経験から、直接打撃制の実戦空手を提唱。
1969年国際空手道連盟極真会館を創設。あらゆる格闘技からの参加を認めるオープントーナメントの全日本大会を開催する。4年に一回の世界大会もいろいろな名選手が出場し、大盛況。「地上最強の空手」の映画公開で極真の人気は不動のものとなる。世界130ヵ国1200万人、国内に50を越す支部を創立して50万人の会員を擁する最大の武道組織になるものの、1994年4月26日、肺癌のため70歳で急逝。
栄華を誇った極真会館は創設者亡き後、松井派、緑派で対立し、分裂。大会でも、空席が多くなった。
今をときめくK-1を主催する正道会館やヨーロッパの名門キックボクシングジムのほとんどは元は極真出身であり、極真が打撃制格闘技の礎であったことには間違えない。
極真の分裂も先代の大山倍達があまりにも偉大すぎたため、後継者の人選も人選が難しいことの表れだろう。、全米にて"ゴッドハンド"と呼ばれた彼をしのぐカリスマはこれからの空手界にはもう出現する確率は低いかもしれない。

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大山倍達正伝
小島 一志
4103014512


我が父、チェ・ペダル―息子が語る大山倍達の真実
金至子
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真説大山倍達
基 佐江里
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一撃 〜極真への道〜
神保重喜 STING 梶原一騎
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極・真 秘技伝授 4時間DX
アダルト
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地上最強のカラテ全集 DVD-BOX
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最強最後のカラテ
最強最後のカラテ






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"野武士"竹山晴友

地上最強のカラテ、極真会館で全日本選手権準優勝した後、キックボクシングにデビューし、80年代、旋風を巻き起こしたのが、竹山晴友。

当時、極真の主力選手だった竹山は故大山倍達極真会館館長に「ムエタイに挑戦させて下さい」と懇願。極真を脱退し、"小さな巨人"大沢昇に弟子入り。大沢氏の経営する「大沢食堂」を手伝いながらトレーニングに励む。

大沢ジム所属となった竹山はマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟にてデビュー。デビュー以来、前に前に出る極真戦法で連続KOの記録を作り、人気を得る。
連盟も、竹山のために、日本ミドル級王座を新設。竹山は初代王者となる。
その後、パーヤップやラクチャートなどのムエタイチャンピオンと対戦し、勝利するも、突然の引退で格闘技界から身を引いた。
現在は新極真会に所属。後進の指導にあたっている。

竹山晴友先日、アンドレ・マナートと対戦予定だった竹山晴友が病気のため欠場することになったのは残念だが、また、竹山の戦う姿が見られるだろう。
この頃はキック界はどん底の時代で私も格闘技雑誌の白黒の少ないキックボクシングのページで竹山の情報を知るしかなかった。当然、映像などは、ビデオもまだ高価だったため、見ることも出来なかった。今はビデオなど安価になってきたので竹山の勇姿を見ることが出来る。この機会に80年代のキックのスターを見るのもまたオツかもしれない。

伝説のサムライプロレス&格闘技「サムライたちの宴」



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第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会名勝負30番


梶原一騎20回追悼記念スペシャル 実録! 大山道場&黒崎健時 〜蘇る43年前の極真空手伝説〜DVD





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